1、2歳ぐらいの子どもは落ちてる石とか枝とかにとても惹かれるらしい。
散歩に出ると、道路の端っこをチラチラと観察しながら遅々と歩き、お眼鏡にかなう小石があれば、「ア!」と歓喜の声をあげながら走り寄って確保する。 いったん手に握ったら、かたくなに開かないので、結果的に家まで持ち帰ることになる。
二歳児が頑張って家まで運んだ宝物であるから、なんだか捨てるのも可哀想で取っておくが、いつの間にか石コレがどんどん増えていく。
(なぜかたまに小銭もひろってくる)
一応、ひろった年月日を油性ペンで記入して、アカシアの器に保管する。
石や枝にくらべて、落ちている人工物にはあまり興味を示さないのが不思議だ。 自然のざっくばらんな手触りや、小さい手にもフィットしやすいシンプルだが繊細な形状のほうが、人工物よりもいろいろな想像力をかきたててくれるのだろうか?
自然のもつ”意図”のない形状なら、二歳児のなかに渦巻いている奇天烈ファンタジーを様々な方向から受け止め、すんなりと演じてくれそうな気がする。
きっともう少し大きくなったら、石を並べてお店屋さんごっこをしたり、摩訶不思議な石料理などを始めて私に食べさせようとしてくるのだろう。
石コレが増えていくのは問題ないが、調べると石ひろいの行為は法律にひっかかるところがあり、良くないらしいので、そういった旨もこれからご理解いただきたいなと思っている。
ところで、石には念や魂?が入っているから良くないとも聞くが、どうなのだろう?
道路上の小石にも誰かの感情みたいなものが入っているのだろうか?
さすがに、宮崎県高千穂にある天安河原みたいなところの石は何となく霊魂はいっている気がして(ちょっと気持ち悪くて)持ち帰ろうとも思わないが…。(上記は2019年に天安河原を訪れた時の石の写真)
まあ、道路の小石ぐらいなら二歳児の楽しい楽しいミラクルワールドの念で上書きできそうな気もする。